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代表メッセージ

恵まれた幼少時代と父の死

私は、1964年、東京オリンピックの年に、
大分県中津市で生まれました。

実家はレストランと喫茶店を経営。
レストランは結婚式もできる地域で一番の大型店。
喫茶店も、その当時「マンモス喫茶」と呼ばれる、
200席以上ある広いお店でした。

当時の、地元の人たちの休日の過ごし方は、
「映画を見てうちのお店で食事する」、
というのが定番だったようです。
そんなこともあってお店は2軒とも繁盛していました。
結果、経済的にも恵まれた幼少時代でした。

小学生低学年の時の話です。
仮面ライダーをご存知の方は多いでしょう。
男の子の話題はそれでもちきり、私も熱を上げていました。

そんな時、学校で、ライダーカードが大流行しました。
ライダーカードとは、仮面ライダースナックに付いているオマケのブロマイドのこと。
それがほしくて仕方がない私は、親に頼んでスナックを何ケースも箱買いしてもらい、
ものすごい数のカードを手に入れました。
そして、学校のだれよりもレアなカードを所有して悦に入っていました。

また、小学生も高学年になると、
友達を連れて近所の焼肉屋さんやお好み焼き屋・ケーキ屋にツケで食べに行き、
その帰り銭湯に立ち寄り、ひと風呂浴びて帰る、そんなことをしている生意気な小学生でした。

父親は働き詰めだったので、一緒に遊んだ記憶はありません。
ただ、強烈に覚えていることが1つあります。

それはお正月の出来事です。
元旦に喫茶店を営業した両親が家に帰ってきたときのこと。

お正月というのに留守番だった私は文句を言いました。
「他の家のように家族みんなで過ごしたい!なぜお店を開けるの?」と。

そうすると父親は黙って新聞の包みを私に手渡しました。
開けてびっくり、お金の束が入っていました。
新聞紙に包んだ1万円札100枚だったのです。

驚いている私にこう言いました。
「竜司、みんなが休んでいるときにがんばって働くと、こんなに稼ぐことができるんだよ」と。

子供ながら100万円の札束パワーを感じたのは覚えています。
でもその時は、「そんなものなのか・・・」と思った程度でした。

今なら、父親は働く大切さを伝えたかったのかな、と思いますが、当時はそこまで理解できませんでした。

自宅の建物は、自分でいうのも変ですが、豪邸です。
プールがついていました。
夏は、目が覚めると、父親・妹・弟と一緒に泳いでいました。

中学になって卓球部に入ると父親は自宅内に卓球場を作ってくれました。
そのように私はお金やモノには恵まれていました。
今考えると、父親は、一緒に過ごす時間がない代わりに、
その罪ほろぼしとして、お金やモノを与えてくれていたのかな、と思います。

そんな私でしたが、高校生の時に突然父が他界しました。
働きすぎで肝臓を患ったことが原因でした。

その時、父親は、レストラン・結婚式場・ドライブイン・喫茶店・建設会社の
複数の会社を経営する事業家になっていました。
父親の死後、数年でお店はつぶれました。
お客さんが来なくなったのです。

アイデアマンの父親は、店の床を生簀にしたり、山小屋風のお店にしてみたり、
またそれを知らせるためヘリコプターからチラシをまいたり・・・。

お客さんを呼ぶためにあらゆることをやっていました。
横で見ていても面白かった。

しかし、父親以外そういうことをやる人がいなかったのでしょう。
みるみるお客さんが減っていきました。
減っていったのは残った従業員のせいではありません。時代だったのです。

丁度そのころはライフスタイルの変わり目でもありました。
一家に一台車が行きわたり「ドライブ」が休日の過ごし方の定番になっていったのです。

「映画を見てうちのお店で食事する」から、
「ドライブに行って郊外のお店で食事する」に変わり始めていたのです。
父親はそれを見込んでドライブインを作っていましたが
軌道に乗る前に亡くなったため時代に乗れませんでした。

いつもお店に出入りしていた私には衰退していく様子がよくわかりました。
明らかにお客さんが減っています。
マイナスの環境要因に加え誰も集客をやらないのです。
父親以外、集客という概念すら持っていなかったでしょう。

そういうわけで、お客さんがいなくなるとお店なんて一気に潰れるということを体で経験しました。
子供ながら、「お客さんが来てくれることが大事なんだ」ということを理屈ではなく目の当たりにしたのでした。

全国トップになった営業マン

時間が経ち、私も社会人になり、初めて就職した会社での配属先が「婦人服売り場」でした。
個人の販売目標を持たされ、日々その達成に向けて悪戦苦闘していました。
厳しい上司で、出来ないと叱責されます。
日々「なぜこんなに辛いことやってるんだろう」と思い、朝が来るのが嫌でした。

そんな試行錯誤をしているあるとき自分の中から「気づき」が生まれました。
本当に突然です。思い出したのです。
父親が亡くなった後、お客さんが来なくなったことでお店が潰れたことを。
「売る力が大切だと」子供ながらに思ったことを。

そこで、「こんなにつらい環境にいるのも何かの巡りあわせ。
自分はどんなことがあっても食っていけるように、『売る力』を身に着けよう」と考え直しました。

それさえあれば、ほかの人と同じものを売ったとしても自分は食べていける、
それを身につければ店が潰れるという悲劇を回避できる。
そんな能力を身につけたい、そう思い、心を入れ替え仕事に取り組みました。

根が単純な性質なのでしょう。
そう考えると嫌だった個人目標も自分を叱咤激励するツールに変わりました。
とにかく婦人服を売りまくりました。

気が付くと、全国トップになっていました。
会社で表彰され、記念メダルをもらったことは1度や2度ではありません。
同じ新卒で入社した中でもトップの成績でした。
それが評価されてか、社内報はもちろん、
リクルート社の就職ガイドブックに載せるための記事取材などもよく受けました。

そうなってしまうと今度は職場が物足りなくなってきます。
お店で販売することが窮屈に感じそこを飛び出しました。

そして、求人情報誌発行の会社に営業職として転職しました。
なぜそこを選んだかというと、
法人営業というものをやってみたいと思ったから、
また、あらゆる業界に行けることが楽しみだったからです。

そこでも3年で2000人中トップの成績を収めることができました。
ここで個人・法人両方の営業を経験することができたのです。

そのころは営業に関する本なども読むようになり、
読む本に、しきりに「マーケティング」という言葉が出てくるのです。

また当時、仕事のあと、
コピーライタースクールに通っていたのですが、
そこでも新進気鋭のクリエイターたちが
「マーケティング」という言葉を使うのです。

マーケティングは、「売るため」の大事な要因のようです。
『売る力』を身に着けたい私はそのマーケティングを勉強したくてどうしようもなくなりました。

ガソリンスタンドとの出会い

そこで2度目の転職することを決意するのです。
それが、小売業専門のマーケティングコンサル会社だったのです。
入社してそこがガソリンスタンド専門と知りました。
スタンドの出会いは実はここからなのです。

私にとって、その会社での仕事は最高に刺激的でした。
現場を知らないと話にならないと、コンサルタントになる前に、SS研修に放り込まれました。
そこで洗車3倍にしろとの指示。約束通り、3倍にしました。
客数を倍にしろ、倍にしました。

もちろんその間、会社からマーケのいろはを教えてもらいました。
また社長が作ってきたそれまでの成功事例がとても勉強になりました。

SSの仕事は、やれば結果が出ることが魅力でした。
全国のSS経営者が、マーケティングに目覚める前だったので
「効果も高かった」ということもあったのかもしれません。

また、何もしなくてもお客様が来店してくれることに驚きました。
実家の飲食店ではお客様が全く来ない日もありました。
婦人服を売っているときも同様です。

が、ガソリンスタンドという業種は違います。
どんな日でもお客様が来ないことはありません。

そんなこともあってSS(というか、エネルギーを扱うということで発生する高いお客様来店頻度)に
のめり込んでいきました。

マーケティング面から見るとSSには「幅」が残っていると感じました。
つまり、売り上げを作ることが現場に任されているのです。

もう少し詳しく言うと、セブンイレブンやマクドナルドのようにマーケティングやセールス、
店頭業務が洗練されていなくて改善の余地が満載だと思ったのです。

私が今まで経験したことが存分に試せる、そしてまた、この業界の改善に貢献できると思ったのです。

SSで働く人たちが幸せになれる環境を作って行くお手伝い

それからこれは余談になるかもしれませんが聞いてください。
私の中に、SSの魅力として思い続けていることがもう1つ。
それは、SSで働く人たちの「男気」です。

マーケティングの話をしていて突然「男気」などどうした、と思われるかもしれません。
しかし、本当です。

それまでは、エリート然とした、自分の利益を中心に考える人たちの中にいて、
今一つしっくり来なかった私は、平然と自己犠牲をするSS経営者やマネージャーの姿勢は驚きでした。

実績が上がるようになるまで、スタッフの教育から指導まで、
お店出来上がるまで自分の時間をすて、苦労を覚悟で臨んでいる、そんな姿です。
24時間、365日臨戦態勢で臨んでいるその姿です。

彼らの中に、従業員と一諸に泥だらけになって働いていた親父を重ねたのかもしれません。
そんな訳で、自分もコンサル然としてSSを眺めているのではなく、
一緒になって店頭で実績作りをやってきました。

顧問先のSSでそこの従業員と一緒にお客様に叱られたことも1度や2度ではありません。

そんな姿勢があったからこそ、業界紙の記者から、
結果が出るコンサルティング会社と言われるようになれたのかもしれません。

彼らの姿勢は学びになりました。
私は、ここで出会った友人たちと共に、
SS業界を最高の業界にしたい。
飲食店やホテルが勉強に来るような業界にしたい。

また、少なくとも、SSは生活の基本エネルギーを扱う業種、
「地域になくてはならないお店」と近所の人に言われるようなお店にしたいと思っています。

私自身が身に着けてきた「売る力」とそれを実行した結果の収益改善、
お客様から「ありがとう」と言われる喜び、いっしょに実績を作っていく仲間との一体感。
これらを1人でも多くのSS関係者と共有していきたいと思っています。

実績の上がる企画を提案し、人材育成に力を入れて
SSで働く人たちが幸せになれる環境を作って行くお手伝いをさせていただきます。

アメリカ独立系SS業者が生き残り策として「セルフ」や「コンビニ併設」を行ったように、
厳しい環境下でも、したたかに且つ一生懸命働く経営者・マネージャーたちと知識の輪をつくり、
「夢のある」次世代のガソリンスタンドを作っていきたいという気持ちで日々取り組んでいます。

スキルパス株式会社 代表取締役 谷口竜司

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